News!(公式ブログ) 令和3年04月01日更新
<令和2年12月05&06日「ふれあい渡里まつり」>
渡里住民の会が主催する第32回「ちっちゃなふれあい渡里まつり」が、12月05日(土)午後1時から3時までと、翌06日(
日)の午前9時から午後3時までのスケジュールで開催されました。5日の来場者が107人と6日は207人という2日間の合計が
314人でしたから、例年開催してきたものと比較すると一桁少ない数字となりました。しかし、今後も続くであろう「コロナ渦」の
影響の中での手探り状態だったこともあり、現時点で考えられる対策を行った上での開催をできたことが最大の成果となりました。
係員を含む関係者も2日間での延べ人数が134人に達したことで、地域の協力諸団体によるバックアップを得ることができました。
地域内にある渡里小学校、水戸第五中学校、茨城大学土屋ゼミからは、児童や生徒、学生らの制作した作品や発表もしていただき、日
頃は関係者以外は目にすることのできない世界を見ることもできました。本日最後のスケジュールとなった全員参加による「みんなで
“ビンゴ”」は、快晴の空の下で来場者の皆さんと関係者が一緒になって楽しむことができました。・・・・・・・・・・・・・・・
<令和元年12月08日(日)「ふれあい渡里まつり」>
令和元年12月08日(日)10時より「ふれあい渡里まつり」が開催されました。前日の雨から天気も回復し、「わたりふれあい
太鼓」による振れ太鼓で地域住民が楽しみにしていた一大イベントが幕を開けました。本年は水戸市から消防、危機管理、警察、水道
、ごみ対策の各部署と北部支援センターの協力もあり、本物のパトカーやはしご消防車までもが集結しました。例年の模擬店や展示発
表という楽しいお祭りにプラスして、「あんしん」な暮らしに繋がる展示コーナーなども同時開催となりました。メインステージであ
るトラック特設ステージでは、ベンチャーズサウンドの「バンブルビート」や水戸市のプロバスケットチームである「ロボッツ」のチ
アリーダと、チアリーダージュニアによるパフォーマンスで一気に湧きました。渡里小学校グラウンドと体育館で行われた催しも午後
2時からの「お楽しみ抽選会」となり、今年も多くの当たりくじで皆さんに喜んでいただいたことで笑顔がいっぱいの「ふれあい渡里
まつり」となりました。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
<平成30年度 渡里住民の会 総会>
 本日5月19日10時より渡里市民センター ホールにて、「渡里住民の会」の平成30年度定期総会が開かれました。会長の挨拶
で始まり、市民憲章唱和と市歌斉唱に続いて来賓の挨拶後議事に入りました。報告第1号、報告第2号、監査報告、議案第1号、議案
第2号、議案第3号、議案第4号と続いて、平成30年度の定期総会も無事終了となりました。終了後は場所を内原町の「すぎのや」
に変えて、長きに渡り地域自治会を支えていただいた3名の同士の退任と、新たに加わったメンバーとの歓送迎会を行いました。日頃
の活動と違った雰囲気の中で、和気藹々の2時間を存分に楽しむことが出来、普段とは違った交流が明日の自治会活動のエネルギーと
なったようです。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

<平成30年10月7日 渡里地区市民運動会>
 快晴の天気にも恵まれた第57回水戸市体育祭 渡里地区市民運動会が、渡里小学校のグラウンドと体育館にて開催されました。開
会式に続いて「くぐって・まわって」でプログラムが始まり、9つ目の「水戸五中部活対抗リレー」で午前中を終え昼食となり、休憩
中には「花壇コンクール表彰」、「金管バンド」、高齢者クラブ踊り」、「渡里ふれあい太鼓」が披露されました。午後からは「みん
なでみとちゃんダンス」、「紅白玉入れ」、「親子でつったゾォー」、「お色直し」、「防災リレー」、「対抗リレー」の6つのプロ
グラムが続き、午後3時過ぎに予定していた全プログラムを終了しました。閉会式では参加団体への記念品授与などが行われ、全員で
本日の市民運動会の成功を祝う「万歳三唱」を行い閉会となりました。閉会後は会場となった渡里小学校の校庭と体育館の後片付けを
行い、隣接する渡里市民センターにて運営したスタッフによる反省会を行いました。午前7時集合の準備から10時間後となる午後5
時、真夏のような暑さの中で頑張った一日を終え解散となりました。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

<平成30年12月2日 ふれあい渡里まつり>
 12月2日(日)午前9時55分渡里小学校の校庭に設けられたトラックステージ前にて、渡里ふれあい太鼓のメンバーによる「ふ
れ太鼓」を合図に平成30年のまつりがスタートしました。昨年同様に体育館内でも展示発表会が行われ、今年は五中の美術部と家政
部の展示コーナーが加わり、代わって渡里小の絵画展示が西門入口からの通路部分へと移動しました。屋外では恒例となっているトラ
ックステージと模擬店テントが並び、今年度から新設された「防災安全部」の企画として消防本部よりはしご車と消火体験コーナー、
更に水戸市防災安全課の協力による安全に関する啓もう活動が行われました。会長あいさつ・開会宣言の後は新調の太鼓による響き渡
る「渡里ふれあい太鼓」、「歌謡愛好会」、「歌謡クラブ」、「五中吹奏楽部」と続き、12時よりセレモニーが行われました。本年
の目玉企画である口笛世界一の「加藤万里奈」さんと啓明高校ジャズバンドによるコラボで盛り上がり、その後もガールズダンスチー
ムGRB〜ひまわりヒップホップ〜茨城大学大道芸サークルによる演技と続きました。午後2時からは皆さんが楽しみにしていた恒例
の「お楽しみ抽選会」が始まり、大槻勢二会長と小泉康二水戸市議会議員の名コンビによる当選番号の読み上げがある度に大歓声が上
がりました。倍増した当たりくじでにっこりの当選者が賞品をゲットし、楽しかった平成30年の「ふれあい渡里まつり」も終了とな
り多くの皆さんが賞品を手に家路へと急ぎました。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

<平成31年2月24日 渡里地区防災訓練>
 渡里住民の会「安全防災部」が主導して開催する防災訓練が、2月24日15時より渡里市民センターにて行われました。昨年より
実施している災害時の受け入れ態勢を訓練することを主とする形をとっており、今回は夜間というより実践的な想定での訓練となりま
した。15時に集合した関係者が本日の訓練内容を確認後、前回同様に防災倉庫の点検から訓練が開始されました。装備されている物
資の使い方を中心に実践し、より理解度を深めていざ!という時に備えることとしました。日没と共に本日の目的である夜間の受け入
れ態勢の確認が開始され、非常用電源と発電機による電源の供給テスト、更には従来の器具とLEDの違いを実際に確認すると共に、
必要と想定される設置個数も検討されました。予定していた訓練項目を終了後、女性会による炊き出し訓練が行われ、手づくりの「す
いとん」が振舞われ本日の訓練も終了となりました。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

<平成31年3月9日 地域コミュニティプラン推進研修会>
 平成30年度 地域コミュニティプラン推進研修会が、水戸市役所4階中会議室にて、3月9日(土)9時より11時30分のスケ
ジュールで開催されました。講師には常磐大学の砂金 祐年准教授が招かれ、講話、事例発表、グループワーク・発表が行われ、地区
会の役員や専門部員、町内会長・自治会長等の対象者が学びました。地域コミュニティプランの実現に向け、地域の実情に合わせ、必
要な知識や技術を学び、それぞれの地域が主体となった地域コミュニティ活動を推進することができる人材を養成するというものでし
た。渡里地区からは社会福祉協議会渡里支部の横川 洋一支部長と、渡里住民の会総務担当の寺門 和夫副会長、同じく総務担当部長
の保科 貞雄の3名が参加しました。会場では事前に10組に割り振られた83名の参加者が、各テーブルのメンバーと意見交換を行
い、テーマとした課題についてグループワークを行った後、各代表者が「〇〇を解決するために、地域にある〇〇を活用して、〇〇を
実施します。そのためには新たに〇〇が必要です。」という要約した形での発表を1分間で行いました。・・・・・・・・・・・・・

<令和元年5月11日 渡里住民の会・社協渡里支部合同総会>
 5月11日(土)午前9時より渡里市民センター ホールにて、渡里住民の会と社協渡里支部合同での令和元年度総会が開催されま
した。昨年までの1週間ずらすことによるそれぞれでの単独開催から、本年より町内会長さんを始めとする出席者への負担軽減から同
時開催となりました。執行部の任期(2年)ごとに行われていた歓送迎会も、センター長が交代となったこともあり、総会終了後に昼
食会という形で前任の一木さんと新任の高岡所長、さらに新たに加わった職員の春田さんも参加してくれたことで、総勢27名で昼食
を食べながらという和気あいあいでの中、お互いの名前と顔を覚えてもらい良い形での交流が出来たようです。・・・・・・・・・・

<渡里地区の変遷> <台渡村詳細>
 袴塚村より分村して渡村となり、さらに圷渡村(76戸/天保年間)
 台渡村(だいわたりむら) 現在の渡里町・文京一丁目
 と台渡村(52戸)に分村する。                
 と二丁目・袴塚三丁目
  その後、天保十三年に合併して渡里村となる。         
 那珂川の右岸に位置し、上市台地の西の端にあり、東側・
 明治十五年に堀村(76戸)と連合村「渡里村」となり、明治十七年
 北側は急傾斜の山林に境され、西は堀村、東は圷渡村。北
 には田野村(84戸)を加えて連合村「堀村」と変わる。     
 部の低地を田野川が東流し、飯富村の境で那珂川に注ぐ。
 明治二十二年には再度、市町村制で統廃合され「渡里村」となる。 
 那須街道が村の南部を東南から北西に貫く。      
  昭和三十年四月一日の水戸市合併で大字を廃止し、町名を渡里町、
 徳輪寺遺跡・アラヤ遺跡・長者山政庁跡などの遺跡の存在
 堀町、田野町と改めた。                    
 や土器の出土などから、古くから生活が営まれた地域であ
<渡里地区の今昔> ることがわかる。「万葉集」巻九に「那珂郡曝井歌一首」
 昭和34年7月1日現在の戸数   令和02年11月01日現在 
 と題して                      
 渡里町       703    総人口  14.354人  
  三栗の那珂に向かへる曝井の絶えず通はむそこに妻もが
 堀 町       465    世帯数   7.527戸  
 という歌があり、「常陸国風土記」の那賀郡の項には「郡
 田野町       118    町内会      68   
 より東北のかた、粟河を挾みて駅家を置く。其より南に当
 合 計      1286                  
 りて、泉、坂の中に出づ。多に流れて尤清く、曝井と謂ふ
<渡里村の小字名一覧(明治22年当時)> 。泉に縁りて居める村落の婦女、夏の月に会集ひて布を浣
 わせぎ    しもあらた    かみあらた   もんぜん    ひ、曝し乾せり」と記される。この曝井の所在については
 上 杉    下荒田      上荒田     門 前     袴塚村の滝坂(現愛宕町)、当村の小岩井坂のいずれかと
 しものうち  あらぬま     えがわむこう  えがわ     みられるが、この二カ所は距離的にも近く、ともに中河内
 下ノ内    アラ沼      江川向     江 川     渡に向かう交通路にあたる。そのうえ台地の端で湧水も多
 しもふしき  かみふしき    しもすぎ    あしばたけ   く、古代人々の生活が繰り広げられた所と考えられる。ま
 下伏木    上伏木      下 杉     芦 畑     た一盛長者の伝説もあり、この地が交通の要路として繁栄
 えのきど   かみがわら    しもがわら   おうかんむこう したことが推察される。               
 榎 戸    上河原      下河原     往還向                               
 とせんば   しらはたやま   はちまんがわら しんがわら   <圷渡村詳細>
 渡船場    白籏山      八幡河原    新河原     圷渡村(あくつわたりむら) 現在の渡里町・文京一丁
 なかばな   あらち      いなりみや   あしやま    目と二丁目・ちとせ二丁目
 中 塙    新 地      稲荷宮     芦 山     水戸城下の西北に位置し、屈曲して流れる那珂川の南岸に
 しもひさや  しゅく      とざき     ろくたんだ   ある。台地の北端から急坂を、下った那珂川流域の低地を
 下久弥    宿        戸 崎     六反田     主とする村。南は袴塚村。              
 くねづま   えだうち     えぞえ     うつきざき   古代那賀の郡衙が台渡に、駅家が那珂川対岸の中河内・上
 久弥妻    枝 内      江 添     ウツキザキ   河内方面に設けられたと推定され、当村が那珂川を渡る交
 つぶじり   えんじゅした   かんだ     どうのうち   通の要衝であったことから、渡の地名となったと伝える。
 粒 尻    槐 下      神 田     洞ノ内     元禄郷帳に「圷渡村」とみえる。「水府志料」の圷渡村の
 どうのした  なかた      はちまんした  ひきち     項によると村の東西十九町余・南北十六町余で戸数はおよ
 洞ノ下    仲 田      八幡下     曳 地     そ七六とあり、また「此村土人の伝説に往昔台渡村と共に
 はざま    よこまくら    そりまち    なかひらした  袴塚村よりわかれて渡り村と称す。後また台圷をわけて二
 狹 間    横 枕      反 町     仲平下     ケ村とすと云ふ。然れども其証たしかなる物なく、其年月
 かみいしい  みそうざく    みたんだ    ふじきした   をしらず」とみえ、古来台渡村と密接な関係があったと思
 上石井    ミソウ作     三反田     藤木下     われる。                      
 しちこくだ  みたらし     みやした    かみごたんだ   笠原神社の祭神は日本武尊・弟橘姫命。古くは笠原明神
 七石田    ミタラシ     宮 下     上五反田    と称した。旧村社。                 
 しもごたんだ あかいじり    しもぬま    いしぼっく   天保十三年(1842)台渡村と合併し渡里村となった。
 下五反田   赤井尻      下 沼     石ボック    <堀 村詳細>
 こいわい   のだけ      ざるやま    たちっぱら   堀村(ほりむら) 現在の堀町・新原一・二丁目・石川
 小岩井    野 竹      笊 山     立 原     一・四丁目
 たゆうくぼ  こやまのうえ   こやま     ふじやま    水戸城下の西に位置し、那須街道の南側にある。村の北東
 大夫久保   小山ノ上     小 山     藤 山     部は上市台地の西端にあたり、西南に向かって徐々に低地
 はちまんまえ ねんぶつくぼ   みなみまえはら しんでんあと  となる。北は田野・飯富・台渡里三村。        
 八幡前    念仏久保     南前原     新田後      古くは全隈郷に属し、江戸氏の支配下にあった。「水府
 たぬきくぼ  まえはら     やじか     あらやまえ   地理温故録」の水門町の項に「江戸家に仕へし輩」として
 狸久保    前 原      ヤジカ     アラヤ前    「堀村の館主篠原和泉守」の名がみえ、同書の「藤柄並松
 しゅくやしき かみひきち    あらや     ちょうじゃやま の事」の項には「此地は江戸氏滅却之時〜江戸家之属臣篠
 宿屋敷    上曳地      アラヤ     長者山     原氏谷田部某等、其外大勢打死せし地なり」とみえる。正
 かなざわ   こうやだい    のぎ      まつきした   保三年の村替で宍戸藩領から水戸藩領になり、元禄郷帳に
 金 沢    高野台      野 木     松木下     「堀村」とある。
 ぬま     そでぬま     なかじま    かわら      吉田神社は創建年不詳。初め正八幡宮であったが、元禄
 沼      袖 沼      中 島     河 原     九年徳川光圀の命で日本武尊を祀り、吉田神社と改称した
 ちょうじゃやました                       。旧村社。                     
 長者山下                            <田野村詳細>
                                 田野村(たのむら) 上市台地の西北方に位置し、緩や
「 堀 」小字名一覧表(明治22年当時) かな起伏のある丘陵地帯にあり、村の北部を田野川が東流
「田 野」小字名一覧表( 同   上 ) する。南は開江村。古士巻遺跡・仲根縄文遺跡・仲根弥生
                                遺跡・仲根土師遺跡・三つ児塚古墳群・後山田遺跡・山田
 昭和三十年四月一日の水戸市合併で大字を廃止により、小字も使われ 古墳群・田野台遺跡など多くの遺跡があり、古くから生活
 なくなっていった。小字は土地のあだ名であるから、それを知ること が営まれていたことがわかる。正保三年の村替で宍戸藩領
 は土地そのものを確認することであり、地域社会の問題点を整理し、 から水戸藩領となり、元禄郷帳に「田野村」とみえる。 
 人々の連帯感を取りもどすことにもなるからである。         鹿島神社は応永八年鹿島の本宮より遷祀。元禄一二年徳
           編 集 茨城県歴史地理の会代表 江原 忠昭 川光圀の命で村内野崎の八竜神社を合祀、社領三石余を有
           発行者        水戸市長 和田祐之介 した。旧村社。                   
水戸の町名 ー地理と歴史ー  昭和57年3月10日発行より抜粋 (平凡社 日本歴史大系8 茨城県の地名より抜粋)  
<渡里地区コミュニティプラン>


〜子どもの声が響くまち〜  
〜人にやさしいまち〜  
安心して育てられる施設整備 豊かな文化
環境づくり@緑地公園 @渡里ふれあい祭り
@育児支援児童公園の整備 Aしめ飾りつくり
A育児ママの交流場所  B昔遊びの復活
B待機児童の一時預かりみんなが元気で C夏祭り(地域ごとの統合)
 健康なまち 
子育て支援@渡里スポーツ大会 
@子どもの見守りA健康体操の普及 
A勉学支援Bラジオ体操の普及 
B子どもを参加させたC救命救急講習の拡充 
グループ施設との交流D市民運動会 
E歩く会 
  
高齢者のために 
@一人暮らし高齢者の安否確認 
 行動 
A菓子・年賀状・絵手紙配布 
B買物難民支援 
C空き家を利用したサロンつくり 
〜歴史・文化のあるまち〜 
〜地域参加が出来るまち〜 
住民参加  古代歴史の
@町内会への加入促進 ロマン
A子供会への参加促進 @遺跡・史跡紹介
B特技を持った方の名人登録  ・台渡里官衙
C茨城大学生の  ・台渡里廃寺跡
 地域活動への参加要請  ・一盛長者
D広報誌作成 A民話の伝承
  Bコミュニティ施設の併用建設
   
    
    
防犯・防災  @自然・湧水の復元と活用
@防災訓練 A楽しめる水辺つくり
A地域マップの作成 Bホタル・小魚の育つ水辺の再生
B旧水道タンクの跡地利用 C遊歩道・サイクリング・灯篭の
C登下校の立哨  復活・整備
Dパトロール隊員の増員 D地域再発見ツアー
E安全ステーションの拡大 
F小学校などへの安全講和・講習会 
G交番設置の要請 
〜自然と恵みが共存するまち〜 
〜安全・安心なまち〜 
  
自然の恵みとふれあい自然環境の再生・再発見 
@農業体験の開催 
A泥んこ遊びの実施 
Bひまわり迷路の開催 
  
美しいまちつくり 
@花のあふれるまち 
A地域クリーン作戦 
B廃品回収、リサイクルの実施 
C耕作放棄地活用 
<地域で活動する団体>
・渡里住民の会・水戸市社会福祉協議会渡里支部 ・水戸市食生活改善推進員会渡里支部
・渡里女性会・渡里地区婦人防火クラブ ・水戸地区防犯連絡員協議会渡里南分会
・渡里市民センター・水戸五八・五八会 ・水戸地区防犯連絡員協議会渡里分会
・渡里地区高齢者クラブ・老人福祉センター長者山荘 ・老人デイサービスセンター長者山荘
・渡里子ども会育成連合会・水戸五中青少年育成会 ・渡里サッカースポーツ少年団
・水戸市立渡里小学校・水戸市立第五中学校 ・渡里ミニバスケットボール少年団
・水戸市立渡里小学校PTA・水戸市立第五中学校PTA ・水戸大空バレーボールスポーツ少年団
・渡里湧水群を活かす会・台三区甲1町内会 ・台三区みんなの会
 他にも活動団体がありましたらばご連絡下さい。メールアドレス: hoshina@sadao.net
 

<―盛長者の伝説>
  長者山に一盛長者と呼ばれた豊かな豪族が住んでいました。後三年の役にあたり、源義易(
 八幡太郎)が十万余騎の兵をひきいてここを通り、長者に兵糧を求めたところ、長者は義家を
 家に迎え入れ、三日三晩にわたって大変なもてなしをしました。義家が奥州よりの帰途、再び
 この地を通りかかった時にも前にも劣らぬ長者の歓待をうけました。義家は、「このような富
 豪は、他日必ず災いになる」と考え、急にやかたを襲って長者の一族を討ち減ぼしてしまいま
 した。                                       
(―盛長者伝説石碑)(昭和62年10月31日(土)於水戸市立博物館 配布資料より抜粋)
<台渡里廃寺跡>
  台渡里廃寺跡は、水戸市渡里町の那珂川右岸の標高32mほどの平坦な台地上に位置してい
 ます。昭和14年から昭和19年まで高井悌二郎氏によって、また昭和45年から昭和47年
 まで水戸市教育委員会によって発掘調査が行われました。昭和20年には県指定史跡となりま
 した。当遺跡は三地区に分けられ、それぞれの地区に建物群跡がみつかっています。これらの
 建物群は、建てられた時期や性格が少しずつ異なっています。南方地区と観青堂山地区の建物
 群は、同時期に同一意識の下に建てられています。南方地区には、塔跡や金堂跡があり、観音
(県指定史跡の表示板) 堂山地区では「徳輪寺」とヘラ書きされた文字瓦や「仲寺」と墨書きされた土器がみつかって
 います。この二地区は最初に郡領の私寺として建てられ、やがて郡の寺へと変わっていつた台
 渡里廃寺の寺域と考えられています。長者山地区は、他の二地区より時期がおくれて建てられ
 ています。ここは、寺院ではなく他の性格をもつ建物群(郡衙とか河内駅家)だと考えられて
 います。この様に台渡里廃寺の付近には、寺院以外にも公的建物群があったと考えられます。
 しかし、これらの発掘調査範囲が限られ、発見された遺構も少ないので、寺院の範囲や伽藍配
 配置などはすべて推定の域を出ていません。                      
(台渡里廃寺跡石碑)(昭和62年10月31日(土)於水戸市立博物館 配布資料より抜粋)
<台渡里官衙遺跡群>
  台渡里官衙遺跡群が所在する本市の渡里地区は、通称「上市台地」と呼ばれる那珂川によつ
 て形成された河岸段丘上に位置し、南北方向に流れていた那珂川が渡里地区付近で緩やかに東
 地区付近で緩やかに東の方向へ蛇行していく場所です。渡里という地名がいつ頃まで遡り得る
 のか定かではありませんが、渡河点との関わりが想定される地名です。上市台地の東側斜面か
 ら斜面下にかけては、愛宕町滝坂の曝井推定地に代表される湧水点が点在し、古くから居住に
 適した土地であったと考えられます。                         
(台渡里官衛遺跡掲示板)  台渡里官衛遺跡は長者山地区・宿屋敷北地区・宿屋敷地区・南前原地区の4地区から構成さ
 れる遺跡で、現在、長者山地区が国史跡に指定されています。古墳時代終末期の集落は、台渡
 里官衙遺跡(宿屋敷地区・南前原地区)において、多数確認されています。当地区は国指定史
 跡台渡里官衙遺跡(長者山地区)の南東に位置する埋蔵文化財包蔵地で、集落遺跡と官衙遺跡
 が複合しています。                                 
  平成6年度に都市計画道路3・3・30号線敷設に伴い実施された第8次調査では、7世紀
 後半の竪穴建物4棟、区画溝4条等が検出されています。また、平成17年度に店舗建設に伴
(遺跡発掘現場写真01) つて実施された第26次調査においては、竪穴建物8棟、立柱建物11棟等が検出されていま
 す。これらの調査で検出された堅穴建物の出土土器は、いずれも7世紀後半のもので、7世紀
 後半に創建された台渡里廃寺跡や7世紀末から造営が開始された台渡里官衛遺跡(長者山地区
 )の造営にかかわる集落の一部と考えられます。                    
  また、平成20年度に実施した個人住宅建築に伴う第41次調査では、上面幅7mから6m
 、底面幅3.7m、深さ2.5mの逆台形の区画溝とそれに沿う形で9尺等間の柵列、さらに
 その内側から竪穴建物1棟が確認されています。区画溝の底面や埋土からは7世後半の土器が
(遺跡発掘現場写真02) 出土し、溝に埋まつていた土の堆積状況から外側に土塁があつたと考えられ、遺構のあり方か
 ら豪族居館である可能性が高いと推定されますが、7世紀後半の豪族居館はこれまで報告例が
 なく、年代から那賀郡の前身である役所跡である可能性も考えられます。         
  奈良・平安時代の遺構としては、正倉院に関連するとみられる遺構が多数確認されています
 。平成17年度に共同住宅建設に伴い実施された第24次調査においては、正倉とみられる礎
 石建物1棟とそれを区画する溝1条やそれに先行するとみられる奈良時代の撃穴建物6棟が検
 出されています。堅穴建物の1棟からは「備所」と墨書された8世紀後半の土器が出土し、区
(台渡里官衛遺跡瓦出土) 画溝跡からは、10世紀後半から11世紀初頭頃の土器と炭化米が出土し、平安時代の後半ま
 で那賀郡衙が機能していた可能性があることが分かっています。             
  また、茨城大学の運動場地点において実施された第44次調査においても、正倉とみられる
 礎石建物2棟が確認され、正倉院の広がりが第24次調査地点のさらに西側へ展開しているこ
 とも分かっています。これらの調査では瓦がほとんど出土していないため、台渡里官衙遺跡(
 長者山地区)と比べて総瓦葺正倉の棟数は少なかったと考えられます。          
            平成25年4月11日(木)於台渡里公民館地元住民への説明会資料
(台渡里官衛遺跡瓦出土)(水戸市台渡里官衙遺跡群保存管理計画(案)より抜粋)

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